演劇で盛岡を変えていきたい

トラブルカフェシアター代表・遠藤雄史(第9回公演『腕呼争場』特設サイトより転載/2009.4.5収録)

「トラブルばっかり」…じゃあそれを劇団名に使おうか、と。

まず、この劇団『トラブルカフェシアター(Trouble Cafe Theater、略称TCT)』のことについて、詳しく伺っていこうと思います。
この劇団を旗揚げしたのはいつのことですか?

今から9年前。2000年の12月に結成しました。24歳の頃ですね。そして、旗揚げ公演『躯』を上演したのが、2001年の8月です。

芝居自体は、大学生の時からやっていたんですよね。

はい。岩手大学のサークル『劇団かっぱ』で、19歳の時から芝居を始めて。旗揚げに至るまでの間も、コンスタントに続けていました。

劇団かっぱを引退してから24歳までは、どこでお芝居をしていたんですか?

その期間は、劇団ゼミナールさん(盛岡市で活躍中のアマチュア劇団)にいたんです。大学4年生の時に入って…3年くらいやっていたのかな。で、その頃、かっぱの同じ代の人たちで集まって飲んでいる時に、「自分たちの劇団を旗揚げしたいね」っていう話になって。僕は、かっぱの在籍時に脚本も書いていたし、演出もしていたんですが、「役者だけじゃなくて演出もしたいな、脚本も書きたいな」っていう思いがあって。それが、旗揚げをしようと思った一番の理由だったと思います。

では、この『トラブルカフェシアター』っていう劇団名なんですけど、これはどういう経緯で?

旗揚げしよう!って決めたときに、旗揚げメンバーをはじめとする仲間内みんなで劇団名を話し合ったんですが、ぜんぜん話が進まなくて。 いろいろ候補は出たんですけどね。 「芝居でほっと一息つかせたい」から、劇団『ほっ』とか。 「演劇界に爪痕を残したい」から、劇団『爪痕』とか。 「おれらの足跡(そくせき)を残したい」から、劇団『足跡(あしあと)』とか。 本当にいろんな案が出て、でもどれも微妙で、まるで進まない。 そのときに、片隅にいた高崎美絵がボソッと「(まったく決まる気配がなくて)トラブルばっかりだね」って。 「…それいいね、じゃあ『トラブル』を使おうか」と。
んで『カフェ』は、旗揚げメンバーの遠藤雄史菅野崇福士晴彦布田智章、それぞれの名前の頭文字を使いたいね、何かいい言葉はないかなって。 んで、『カフェ』いいんじゃない?ってことになって。菅野の『か』、福士・布田の『ふ』、遠藤の『え』『カフェ』
そんなわけで、その2つをくっつけて…『トラブルカフェ』だったの、最初。そしたら、東隆幸くん(劇団・風紀委員会所属であり、かっぱの同期)が、「『シアター』ってつけたらカッコよくない?」って。

それで『トラブルカフェシアター』という名前に落ち着いたわけですね。

はい。そんなわけで、何か願いがあってつけた名前っていうわけではないんです。ニュアンスですね。でも、意外にゴロがよくて、TCTっていう短縮形もすっかり定着して。ただ、今でも時々『トラルカフェシアター』に間違われるんですけどね。いまだに、自分の母親にも間違われる(笑)

じゃあ、間違われることのないように、今後がんばって知名度を上げていきましょうね!(笑)

「エンターテイメントとしてのツールとして殺陣を活用していた」っていう表現のほうが正しい

では、そんなTCTの芝居の特徴やコンセプトというのは、どんなことなのでしょうか。

『わかりやすい芝居』というか。スピード感があって、はじめてお芝居を観た人も楽しめるような。
例えば「ちょっと時間が空いちゃったな、何か観ようかな」っていうときに選ぶ娯楽要素っていうと、映画が多いと思うんです。演劇って、映画よりちょっと敷居が高く感じちゃうと思うんだけれども、それを感じさせないようなお芝居を作りたいなっていうのが、コンセプトのひとつですね。
それのひとつの方法、ツールとして、殺陣を使った芝居というのをメインとしてきました。ただ、「殺陣ありき」というよりは、「エンターテイメントとしてのツールとして殺陣を活用していた」っていう表現のほうが正しいですかね。

なるほど。そういえばTCTの芝居は、いろんな面において『少年ジャンプ(に掲載されている漫画)的』と例えられることが多いですよね。

そうですね。これまでやってきたTCTの芝居のテイストやストーリーも、わりと少年誌的な感じでしたし。それに、ああいう少年誌って、少し時間が空いた時にパラパラッて見られるじゃないですか。そういう手軽さ、気楽さは大事かなって思っています。
 でも、そういったもの以外の、いろんなジャンルの芝居もやっていけるような力はついてきてると思うんですよ。だから今後は、あまりそういった枠に囚われすぎずに、色んなことに挑戦していければ、とは思っています。

挑戦といえば、今回の芝居(第9回公演『腕呼争場』)の作り方は、TCTのこれまでの芝居の作り方とはちょっと違う傾向にあると伺ったのですが…。

遠藤雄史 例えば、今までは『枠』を最初に作っちゃってたんです。話の枠っていうか、大外枠を作って、そこに配置をしていくっていう感じの作り方をしてました。
ですが、『私のじゃじゃ麺(劇団モリオカ市民)』とか『名探偵・菊池誠一郎(愛の激情(仮))』の脚本を書いた時に、まったくそれとは違う手法で、キャラクターが動いて話を作っていく、っていう作り方をしたんです。そっちのほうが結構面白いのが書けるのかなっていうふうに、自分の中で感じたところがあって。こういう風なキャラクターを作りたい、こんなキャラクターがいたら面白い、っていうのを考えて、じゃあそのキャラクターで、話をどういうふうに転がしていくんだろう…っていう作り方をしていって。
あんまり枠として、書き方としてはそんなに大差があるわけじゃないんだけども、でも書いてるとやっぱり違うんです、感覚的に。自分の中では、そういったところが面白いなーと思っています。

ある意味、TCTにとってターニングポイントになる作品になりそうですね?

そう思いますね。そうなってほしいと思っています。

くだらないながらも必死に頑張ってる姿を通して、なにかしら感じてもらえれば

そういった意味でも非常に重要となる今回の公演なんですが、客演さんを3名お呼びしているんですよね。
まず、劇団・風紀委員会の高野ひとみさん。
次に、フリーで活躍されている柏木史江さん。
さらには、岩手大学劇団かっぱの団員でもあり、劇団コトナコナタの団員でもある小川千晶さん。
では、この方々をキャスティングした理由は何でしょうか?

まず小川さんは、…例えば、道端にもしも罠があったとしますよね。その罠に足を挟まれたときの顔が、きっとおもしろいだろうなと思って(笑)。リアクションが。彼女はとにかく、反応がものすごく早いんです。切り替えが早いっていうのかな。普段だけじゃなく、役者をしてても、 瞬時に表情や雰囲気を変えられるんだなっていうことを、この前、(小川さんの出ていた)劇団かっぱの芝居を観て思って。んで、「この子はちょっとおもしろいな」と思った。なんか罠にはまらせたいと(笑)。
遠藤雄史 次に柏木さんは、それこそ旗揚げのときからTCTには何度か客演で出ていただいていたんですが、ここしばらくはなかなかご一緒する機会がなくて。柏木さんも、プロデュースとか脚本執筆とかで、年々忙しくなってきてますからね。そんなわけで、出ていただくのは久々なんですけれども。「もう一回いっしょに芝居を作ってみたいな」という思いがあって。さっき喋ったとおり、自分の中で、今回の芝居はまた違う新しい試みっていうのかな、そういった思いがあるので、ぜひこのタイミングでもう一回、柏木さんに出てほしいと思って。あとは…ちょっと変な(おもしろい)ところもやって欲しいなっていうのがあって。「きっと彼女はそういうのやったら面白いんだろうな」っていうのがね、一番の理由ですね。

なるほど。では高野さんはいかがですか?遠藤さんたちの世代より年上の方をキャスティングするのは初めてなんですよね。

それこそTCTを作った当初に考えてたのは、「原則的に俺らよりも年上は呼ばない、呼ぶもんか!」っていう。心が小さかったので…(笑)。
でも、『名探偵・菊池誠一郎(愛の激情(仮))』の脚本・演出を担当した時に高野さんとご一緒させていただいて、「チカラがある人と一緒に芝居をすることはすごくいいことなんだな」と思って。
彼女にTCTに出てもらえたら、自分にとっても、TCTにとってもいい刺激になるだろうと。
高野さんから学ぶところは沢山あるし、高野さんと一緒に演じることによって、うちらも伸びていけるんじゃないかと。
あと、なんといっても、高野さんってすごく面白い方ですしね。そこが絶対的な理由かな。

たしかに。ブログに書く文章もひとあじ違いますしね。

ね。なんなんでしょうねあれは(笑)どこから思いつくんだろう、ああいう文章。うちらも負けられないですね!

ちなみに、このお三方にオファーをしたときのリアクションはどうだったんですか?

えっと、まず高野さんは、「やるっ!」って(笑)
柏木さんも、「あ、いいのー?」って。さらっと。
小川さんも、「やります!」って言ってくれたので…。

皆さんご快諾ということで。

うん、ご快諾でした。誰も渋った人はいなかったです。ありがたいことですね。

そんな素敵な客演さんも迎え入れてお送りする今回の芝居なんですが、その名のとおり、わんこそばをモチーフとした芝居なんですよね。
どうしてこのタイミングで、わんこそばをモチーフにした芝居を作ろうと思ったんですか?
明らかに、いろんな面において、これまでのTCTの芝居のモチーフやスタイルとは違いますよね。

いや、ほんと、俺も不思議なんですよね。若干、乗せられた感はあります(笑)
…それこそ、前作『小津の國の妖術師(TCT第8回公演、2008年10月上演)』が終わったあたりに、「もう小津のような芝居…つまるところ殺陣芝居はもう限界があるんだ」って感じたんですよ、どう考えても。あれ以上クオリティの高いものを作るためには、5〜6人はバク転ができなきゃいけないとか、もっとマッチョになってなきゃいけないとか、空を飛べるようになるとか、カメハメ波を撃てるようになるとかぐらいしかないわけですよ、あれ以上のものを見せるってなれば。で、話の枠も固まってきてしまっているから、新しいものを作るにしても、これまでやってきた芝居の枠をちょっと崩すぐらいのものになってしまうんですよね。というわけで、いろんな面において、ちょっと限界を感じていたんです、正直なところ。
そういう時に、小津を観に来てくれたある人に、「ちょっと自己模倣に陥ってるんじゃないの?」っていうような話をされたんですね。それは結局…例えば「『いままで遠藤はこういうふうな役をやってきたから、またこういう役をやればいいでしょ』っていうのを、自分で感じてやってるんじゃないの」、ってことで。「TCTってこういう芝居を作っているから、もういっかいそれに倣ってやりましょうよ」、と。要するにマンネリってことですよね、簡単に言うと。そういうふうに言われたことがすごく引っかかっていたんです。自分たちの中では「ちょっと今までとは違うテイストが入ってるよ」とか「ちょっと目先を変えてるよ」っていっても、観てる人たちの目には何にも変わらず映っていたんだな っていうのを感じて。じゃあ次はどうしよう、何をしよう…って、ずっと悩んでたんですよね。

そんな限界を感じていた中で、わんこそばに目を向けるまでには、どういったいきさつが?

そんなふうに悩んでいた時に、ちょうどTCTの飲み会があって。その場のテーブルの一角で、ある団員から「わんこそばを芝居にしませんか?きっとおもしろいですよ!」っていう、愚かな提案がね(笑)あったわけです。
その一角にいた5人…具体的に言うと、まず俺(遠藤雄史)ですよね、それから菅野崇小笠原尚子柿崎則子、そして言いだしっぺの池田幸代なんですが。なぜかあの時、他の団員が普通にワイワイ談笑してる中で、この5人だけ、飲み屋の一角で熱心に『わんこそばの芝居化』について2時間も語り合ってしまって。それがまた、見事にくだらない話ばっかりで。

どんなくだらないことを話し合ったか、覚えてますか?

なんか、もう、なかば『プロジェクトX』になってましたね、最後は。『わんこそばをどう舞台化するか』っていう話は、実質、最初の30分くらいで。残り1時間半は、『そのくだらない芝居を作るために一生懸命になってる俺たち』について語り合ってた、っていう。
どんな話だったかといえば、『制作は、取材のためにいろんなところの蕎麦を食べ歩いて10キロ太る』とか。『小道具係は、山にこもって、ひとりぼっちでろくろを回してお椀を作りまくる』とか。で、作ったあと、お椀の裏にメッセージを書くわけですよ。「ガンバレ」って。「なんでメッセージ書くんですか?」って聞いたら、「私にできるのはこんなことぐらいですから…」って、はにかみながら答える、みたいな。ほんと、くっだらない話ばっかりでしたね(笑)。でも、すごく有意義だったと思いますよ。こういうちょっとしたところから作品って生まれてくるものですから。
で、その流れの中で、小笠原が「わんこそばにこんな漢字をあててみたらどうでしょう」って、携帯に文字を入力して、見せてくれて。それが今回のタイトルにもなった『腕呼争場』という漢字4文字でした。これが意外に素敵でして(笑)。じゃあこれでいこうか、と。これで芝居を作ってみようじゃないかと。どうせならとことんくだらない芝居を作ってみようじゃないか! …っていうのが、今回の脚本を書くに至ったきっかけですかね。
でも、言って失敗したな〜と思った時期もあったんです、個人的には。「これ、ホントに脚本書けるのか!?」って。実際、2〜3週間まったく書けないっていうか、プロット(あらすじ)も立てられなくて。逃げたいなって思った時期もありました。でも、最近ようやく、書けるようになってきましたね。

では、くだらないながらにも(笑)、この芝居を通して観る人に伝えたいことは何ですか?

そうですね…ほんと、とことんくだらない芝居なんですけどね(笑)。
遠藤雄史 でも、これに限らずどんな脚本も「人間模様をちゃんと描きたい」と思いながら執筆してます。「生きてる人間が居て、その人間が、なんか知らないけど一生懸命やってる…っていう姿を通して、何かしらの感動を与えられるんじゃないだろうか?」っていうことをずっと思ってて。登場人物たちが、くだらないながらも必死に頑張ってる姿を通して、なにかしら感じてもらえるところがあればいいかな、とは思っています。
今回の話って、話的には…ほんと、おかしい話っていうか、珍妙な話なんですよ、いろいろと。でも、おかしい話なんだけども、それを一生懸命作る、一生懸命演じることによって、観終わった人が「なんか俺、明日から頑張れそうだな」っていうふうになればいいな。あと、「わんこそば喰ってみようかな」っていうのが残せればな、と。

芝居観た直後に「ねぇ、なんか、わんこそば喰いたくない?」みたいな。

「ちょっと行っちゃう?」みたいなね。公演後、この界隈一帯のわんこそば屋の売り上げが伸びたとなれば、成功ですね(笑)

ずーっとここで育ってきたからこそ書ける脚本があるんじゃないか、って思う

さて、遠藤さんは旗揚げからこれまでずっとTCTの公演の脚本・演出を担当されているわけですが、このへんで演出家としての部分について話を伺っていきたいと思います。
まず、今回の登場人物は全部で9名ですが、それぞれの役者さんに願うこと、「こういうところをどんどん出していってほしいな」っていうのがあれば教えてください。

福士晴彦くん(十割カツオ役)には『爽やかさ』。
小野寺養修くん(稲庭鈍汰役)には『滑舌』。
小川千晶さん(天笊ワサビ役)には『罠にはまったときの顔』。
菅野崇くん(米山ルチン役)には『イケメン具合』。
柏木史江さん(ダッタン猿橋役)には『壊れ具合』。
池田幸代さん(ソバーユ役)には『気迫』。
佐々木香織さん(鴨南番役)には『独り上手さ』。
高野ひとみさん(蝶栂池怜華役)には『ハチキレ具合』。
そして遠藤雄史(マッハ悟理押役)には『新しい遠藤』を。自己模倣にならないように(笑)
といった感じですね。

普段、演出をつけるときに、どのようなことに重点を置いてやっていらっしゃるんでしょうか?

まず1つめは、しっかり交通整理をすることですね。 例えば、役者が演技をする時に「自分はこういうふうに演技したい」っていうのが色々あると思うんです。 でも演出をする時には、できるだけお客さんの目線に立って、「あぁ、だからこの人はこう言ってるんだ」っていうのをちゃんとわかってもらえるようにしたい。 そのために、役者たちに「なぜこの台詞を言うのか」とか「なんでこの時に、脚本(のセリフ欄)に『...』って書かれてるのか」っていうのをきちんと理解してもらって、 その上で演技をしてもらう。その交通整理はきちんとしたいと思っています。 遠藤雄史もしもそれがないと、例えば、舞台に立つ人間たちがすごくいいシーンだと思ってやってても、絵ヅラ的には「なんだ、ただ苛めてるだけじゃん」 って見えちゃったり。そういうことってけっこうあるんですよ。 それって芝居を壊してることになるし、観てる人にとっての流れも壊してることになるから、そうしないために交通整理をする。それがいちばん最初に心がけることですね。
2つめはそれを具体的に、分かりやすく伝えて行くこと
3つめは、役者にできるだけ考えさせること。なんでそういうふうな台詞が出てきたか、とか。 稽古してて、役者に「なんで今そんな顔したの?」って聞く時があるんですけど、けっこう無意識にやってることって多いんですよね。 それを意識させることによって、脚本の読みが深まってくるのかな、と。 僕は演出の手足になって動いてる役者は好きじゃないし、自分勝手に動いてる役者も好きじゃなくて。 脚本っていうテキストにきちんと自分の足場を持ってきながら、そこから遊べる人間であってほしいと思うんですね。
ちなみに、これらのことは役者に限ったことではなくて、スタッフに対しても同じように思っています。

では、次は、脚本家としての部分について。まず、脚本を書くようになる道程で、影響を受けた作家や脚本家はいますか?

やっぱり三谷幸喜さんですかね。三谷さんの書いた芝居や映画を見て、「上手いなー」っていつも思いますし。 昔、三谷さんが脚本を書いた『笑の大学』(演劇)が盛岡に来たときに、僕、スタッフのバイトをしてて。 ラッキーなことに、ちょうど袖から見られたんですよ。で、「すっげー面白い!」って思って。「何でこんな面白い脚本書けるんだろう?」って。
三谷さんの脚本って、喜劇なんですよ。シチュエーションコメディだから、たとえばコントとかのように無理矢理ネタを入れて笑わせるっていうことではないわけです。必然の流れがあって、それを見てるだけで面白いっていう。それってすごい素晴らしいことなんだなって思って。無理矢理笑いを持っていこうっていうのとは違う、いわばナチュラルな感じ。そういうところが素晴らしいなーって思います。

では、今後書いてみたいもの、書いてみたいテーマってあるんですか?

せっかく岩手にいて、盛岡で芝居をしてるんだから、それを活かしたものを作りたいなと。 今まで書いてきたものって、極端に言うと、どこで上演しても変わりが無いのかなって思うんですよ。つまり、別に盛岡の人間が書いたっていう必然性はないわけですよね。 盛岡に生まれて、ずーっとここで育ってきたからこそ書ける脚本があるんじゃないかって、最近すごく思うんです。

地域性のような?

そうですね。そういう脚本を書いて、そういう芝居を作っていくことが、人口の多い、キャパシティーがでっかいところで芝居をしている人たちに対抗できるひとつの方向性なのかなって考えています。 盛岡を舞台にした、盛岡をテーマにした芝居を、例えば東京に持って行くことによって、「こういうふうな地域が、こういうふうな地域性があるんだ」って思ってもらえる。それっておもしろいんじゃないかなって思います。次に作るお芝居も、そういう地域性というものを大切にしていきたいですね。
…実は今、脚本として書きたいなって思ってるものがありまして。僕の祖父が去年亡くなったんですが、祖父をテーマにした兄弟の話を書きたいなって思っているんです。 『あの角を曲がれば』っていう、盛岡の風景を撮った写真集があるんですけど、それを見たときに、自分がまだ子供の頃、祖父に手を引かれて盛岡の町を歩いたっていう経験を思い出して。 「あの角を曲がったら、自分が見たことのない世界が広がっていた」っていうような。 それは、例えば兄弟が4人いたとしたら、4人が4人ともその風景を違うように捉えて、違うものを感じて、その4人が祖父の死によってまたここに集まってきて、またそこから何かが始まる…っていうようなね。 「あの角を曲がれば」っていうことを通して、家族の絆とか、そんなテーマで書いてみたいなって思ってます。

じゃあ、もしかしたら次回公演はそんな話になるかもしれない?

どうですかね。次回とはいかないまでも、いつかそういう話が見られるかもしれないですね、TCTで。

僕たちだからこそできることがあるんじゃないかって思う

では、次回作を楽しみにしつつ、今後のTCTの方向性について伺ってみようと思います。
今後どういうところを目指して活動していきたいのかを教えてください。

まず劇団として思うのが、「盛岡っていう地域を変えていきたい」っていうことです。 「演劇で世界を変えられるのか」っていう問いが時々あるんですが、でも、僕たちだからこそできることがあるんじゃないかって思うわけですよね。
例えば、誰かと遊ぶってなったときに、映画を見たり、どこかに買い物に行ったり、選択肢はいろいろあると思うんですが、演劇っていうものをね、そのカテゴリの中に入れたいんですよ。

「じゃあまずカラオケ行って、芝居観て、ご飯食べて帰ろうか」っていうような、娯楽の選択肢にナチュラルに芝居が入ってくる…といった感じ?

そうですね。『ふらっと行ける』ように、演劇というものを変えていきたいなって思います。 TCTはそういうことをできる劇団であると思うし、そういうふうな芝居を作っていきたい。それが劇団として思うことですね。
遠藤雄史 戦略的に思うことは、それをもっともっといろんなところに発信していきたいということ。東京とか、中央の人たちにも見に来てもらえるようになろうと。 それこそ、みちのくプロレスなんかはそうですよね。中央からもたくさんの人が見に来るし、こっちからも東京に行って試合してる。それを見てて、劇団もそういうふうになれるんじゃないかって思ったんです。 TCTの芝居を観るために東京から足を運ぶ…っていうふうになってもらえたらいいな、って。そういうのができる劇団になっていきたいですね。それによって、今後、東京でも芝居を打つ可能性が出てくると思うし。あと、動員数をもっともっと増やしていきたいというところですかね。

今回の公演は、これまで以上に、動員数にこだわってやっていこう!っていう話が出ていますよね。

言うなれば、動員数ってひとつのモノサシになりますからね。 それを達成できなかったときには、何がいけなかったんだろう?っていう反省材料になるし、 達成できたときには、じゃあこれを維持するために僕たちはどうやって活動していけばいいか?ってなるし。いい尺度かな、と思いますね。

そういった今後の方向性をふまえて今回お送りする『腕呼争場』。
今まさに稽古の真っ最中ですが、稽古風景を見ていて、手ごたえはいかがですか?

率直に、「おもしろい!」と思ってます。今までとは違う気がするんですよ、稽古場の雰囲気が。それがすごくおもしろい。ぜひこの感じは持続させていきたいですね。
素晴らしい作品になる予感がしています。ぜひ観にいらしてください。

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